「顔」を整形したがん細胞

Question1

正常な細胞の増殖がある条件でコントロールされているのに対して、がんになった細胞は無秩序に増殖し、細胞増殖の調節が正常に機能しなくなる、という話を聞きました。細胞ががん化すると、正常細胞とはどのような違いが生じるのでしょうか?

Answer

増殖中の細胞が、ある時点で増殖を止める現象は接触阻害と呼ばれますが、がん細胞は接触阻害を起こさない──つまり、がん細胞が無秩序に増殖し続ける──ことは古くから知られていました。また、多細胞生物の体を構成する細胞は、基本的にいつか必ず死を迎えますが、がん細胞は永久に増殖し続け、正常細胞とは異なった形態である場合が多い、といったことも、がん細胞特有の性質としてあげることができます。
 

このような顕微鏡で観察ができる違い以外に、よりミクロなレベルでの違いも多数見つかっています。そのなかのひとつが、細胞表面にある糖鎖の違いです。
 

細胞ががん化すると細胞表面の糖鎖が変化するらしいという考え方は、すでに、1960年代末に発表されています。実際には、正常細胞にもがん細胞と同じ種類の糖鎖が発現しています。しかし、その後、悪性化が最も進んで、転移性の高いがん細胞では、正常時にはわずかしか発現していない巨大糖鎖の量が増えることが明らかになりました。第1回コラム「生命現象の隅々で見え隠れする糖鎖」で「糖鎖は細胞の顔である」と言いましたが、その言葉を借りれば、がん細胞は「顔」を変貌させていると言うことができます。 
 

がん細胞の目印になる物質を一般的に腫瘍マーカーと呼び、その目印を特異的に認識するモノクローナル抗体を開発すれば、がんの診断薬として使うことができます。
 

実用化されている診断薬の中には、糖鎖抗原に由来するものが少なくありません。がん細胞の目印になる糖鎖に対するモノクローナル抗体の開発は現在も活発に進められており、今後さらに医療機関で利用される診断薬が増えると期待されています。 

▲ 腫瘍マーカーの一覧表
国立がん研究センターWebサイトから転載(2019年4月1日現在):提供(株)メタ・コーポレーション・ジャパン 

Question2

がんになると糖鎖が変化することはわかりましたが、それにはどのような意味があるのでしょうか?

Answer

がん細胞の側から見ると、宿主の免疫機能をコントロールして生き残りやすくすることや、他の組織へ転移しやすくするという意味があるのではないかと考えられています。
 

免疫機能のコントロールについては、広く知られているがん細胞が自己の抗原を細胞外に放出する現象との関連で考えることができます。例えば、マウスの正常な脾臓細胞を、ある種のがん細胞が放出した抗原とともに培養すると、ある種のリンパ球の活性が著しく低下することが観察されています。このようなメカニズムによって、がん細胞は、宿主の免疫系の「監視の目」から逃れ、増殖・転移するという可能性が考えられます。ところが、メラノーマ細胞では、シリアルルイスXという糖鎖が細胞表面に高い率で現れると、NK細胞という免疫細胞の攻撃を受けやすくなることが知られています。その現象は免疫系ががん細胞の糖鎖を感知するということを示しています。 
 

このようなコンセプトをもとに、実際に糖鎖をベースにしてできたがんワクチンの臨床試験が現在、いくつか行われています。また、近年発表された論文で、糖転移酵素の一種であるN-アセチルグルコサミン転移酵素(GnT-V)の遺伝子が破壊されたマウスではがんの転移が抑制されること、また、転移性の高いがんではGnT-Vの活性が高まっていることが報告されています。
 

GnT-Vががんの転移を促進するメカニズムの詳細な解明はこれからですが、がん糖鎖抗原を介して転移先の組織の細胞に接着し、転移している可能性も考えられます。抗原がひとたび現れるとリンパ球が特定の組織に集まるという現象では、糖鎖の関与が明らかになっていることから、今後の研究の進展により、がん転移や細胞接着、そしてより普遍的な生命現象の中で、糖鎖の果たす役割がより明らかになっていくかもしれません。

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がんと糖鎖について 
 

国立がんセンター
日本のがん対策の中核として設置された機関です。腫瘍マーカーのページではがん細胞の目印になる物質をそれぞれわかりやすく紹介しています。
 

【参考文献】

三善英知, 谷口直之:「糖鎖と癌の侵潤・転移」『わかる実験医学シリーズ ポストゲノム時代の糖鎖生物学がわかる』, 羊土社(2002).